人生の意味
人生の意味は何歳になっても探し続けるものであり、何歳になっても見つからないものらしい。
今年で定年退職される55歳の方が、「人生の意味ってなんだろう、俺にはまだ分からないなあ」とまたぼやいていた。
社内では最も出世されている中国人の社員。
かれこれ10年くらい考えているが、いまだに答えは見つからないらしい。
きっと何歳になっても分かる日は来ないのだろう。
私も大学生時代から数えて10年間ほど考えているが、結局のところ人生は「死ぬまでの暇つぶし」あり、特に与えられた意味などなく、自分が生きる意味は自分で作っていくものだというのが結論。
もはや人生に意味を見出そうとすること自体が無意味のように思えてくる。
結局は、人生楽しければそれでいいのではないだろうか。他の人に迷惑をかけない程度に。
私は「幸せ」だし人生も楽しい。
特に海外駐在を始めてからは、仕事もまあきついけどそこそこやりがいはあるし、お金も気にせずに使えるくらいはあって、余暇もそこそこあり、毎週飲みにいく友人もいる。
いわゆる、「金融資本」「人的資本」「社会資本」のバランスが比較的取れている状態だ。

毎日暖かい布団で眠れて、食べるもにも困らず、着る服もある。衣食住が満たされているだけで幸せではないか。
世の中には戦禍の中常に身の危険を感じている人たち、明日のご飯にも辿り着けない人たち、住む家もない人たちもたくさんいる。
一方で、毎日派手に遊んでいるお金持ちもたくさんいる。
下を見てもキリがないし、上を見てもキリがない。
人と比較すること自体も無意味なのに、人は他と比べたがる生き物。
生き物である以上、生き残るためには他者より優勢でなければならないから仕方がない。
人生はある意味においては諦めが肝心だし、ある意味においては常に向上心を持つことも大切。
諦めなければ夢は叶うって成功者は言うけれど、それは成功するまで続けてたまたま成功した結果であって、続けても陽の芽を浴びずに消えて行った人の方が普通に考えれば多いだろう。
結局のところ、自分が持っているカードと与えられている環境でどう人生を過ごしていくかことに尽きる。
世界においては日本に生まれた時点である程度の勝ち組の部類なんだがな。
親ガチャならぬ国ガチャと言うのかな。
国ガチャ✖️親ガチャでほとんど人生は決まってくるだろう。
なんたって人間は良くも悪くも環境に染まる生き物だから。
人生を変えるにはやっぱり自分自身で自分を律して、習慣を変えていくしかない。

習慣が変われば人生が変わる。
最近仕事の愚痴を聞いていると、そんなに嫌ならやめればいいのにとすぐに思ってしまう。
嫌なことを続けているほど人生は長くないのに。
かといって家族がいると辞める勇気もなかなか出ないんだろう。
人生は選択の連続で、岐路の度に自分で選択してきた結果が今なのだから受け入れるしかない。
文句を言っても意味がないし、そんな暇があったら行動した方がいい。
行動しないやつに限って、文句ばかりで口だけは達者。
一方で、仕事が好きで好きでたまらない人たちを見ても何故そんなに頑張れるのか不思議に思えてくる。
1年でいい評価を得たとしても月に1-2万円の変化しかないだろうに。
サラリーマンである以上、お金持ちになれないという社会構造の中でどうしてそんなに頑張れるのか。
特に弊社は社内向けの仕事ばかりで、実際にお客さんにいく人も多くなく、お客さんの喜ぶ顔を見ることもなく、感謝の言葉をかけられることもない。
幸いなことに私は営業職であるのでお客様と会う機会は頻繁にあるのだが、社外の人と触れ合う機会がなければ本当に「井の中の蛙」状態だ。
サラリーマンとして働く以上、そこそこ出世していく方が幸福度は高まるのだろうけど、出世しすぎるのも考えものではないかと思う。
みんなからは煙たがられ、当然部下は飲みにいくなどもってのほか、ランチなど一緒に食べたくもないし、同じ階級の人がいなければ、飲み会で愚痴傷を舐め合うこともできず孤立する。一方で仕事の責任は重く、ミスをすれば周りから後ろ指を刺される。
であれば、多少仕事はできなくても、みんなからイジられ愛され、飲み会にもよく誘われるような人の方が、地位欲は満たされずとも社会資本的によっぽど満たされているのではないかと思ったりする今日この頃。
出世している人というのはやっぱり友達が少なそうな人が多い。
仕事人間から仕事をとったら本当につまらない人生になってしまうのだろうなと思う。
つまりは、大好きな仲間と、大好きなコトで、誰かを喜ばせること=価値提供できることが幸せなんだろう。